夜泣きする赤ちゃんの面倒を見た僕は、褒めてもらえると思ってた。

この間、夜泣きする赤ちゃんをあやしながら夜を明かしたことについて妻と話し合いました。
Father comforting crying baby
Andersen Ross via Getty Images
Father comforting crying baby

この間、夜泣きする赤ちゃんをあやしながら夜を明かしたことについて妻と話し合いました。そのとき私はこう言ったんです。「少なくとも僕は、赤ちゃんが目を覚ましたら、付き合って一緒に起きてるよ。こんなことする男そんなにいないよね。感謝してほしいよ」って。

私は疲れていました。そう言ったのは「僕が夫で、君はラッキーだったね」という思いからでした。私は自分のことを平均以上の父親だと思っていました。

まだ朝の7時になったばかりで、妻のメルは、息子のアスペンを膝に乗せたまま椅子にもたれかかって、しばらく黙り込んでいました。眼は少し充血し、ポニーテールにした茶色の髪は乱れていました。彼女は、アスペンを引き寄せながら、私の言ったことについて考えているようでした。僕は、妻が(私の発言に)同意してくれると思っていました。私たちはよく、知り合いの父親たちが、赤ちゃんが目を覚ましても起きないよね、って話していたからです。

その父親たちは「赤ちゃんの面倒をみることは、母親の仕事」だと捉えていたのです。

でもメルは違いました。彼女は、足を組むと私の眼を見つめて言いました。

「そんなふうにいうのは、止めてほしいわ」

メルは当時、3人の子を持つ母であり、フルタイムの学生で、スクールボランティアとしても活動していました(子供たちが通う公立学校に通っていました)。

彼女は、キッチンのテーブルで背中を丸めて、教科書を右側において置いてキーボードを打ち、片方の足には、子供たちがはしゃいでまとわりついていました。

彼女は十分教育の役目を果たしていましたし、私の協力もありましたが、部屋を清潔に保ち、子供たちの身なりを整え健康に気を配り、(体調を崩したら)医者に連れて行き、スポーツや課外活動の送迎をし、食事を用意し、公共の場での行動に目を光らせる......そういったすべてのことに対し、時々プレッシャーを感じると漏らしていました。彼女は、学生であり母であり、子供たちの世話を一手に引き受けることに大きなプレッシャーを感じていたのです。......それなのに私は、夜中に赤ちゃんの面倒を見て、妻をちょっと手助けしただけで、寛大な父親として役割以上のことを果たしているとアピールしたのでした。

実際のところ、そのときの私は、そのことに気づいていませんでした。冒頭の発言は「自分がいかに結婚生活に貢献しているか気づいてほしいという私なりのアピールだったのです。父親として、私は家事や子育てにすごく協力的だと思っていました。仕事から帰って来たら部屋を掃除したり、夜中に起きて子供の面倒を見たり、協力しながら家事分担をやってきました。ですが、長年母親がするべきと思われていた仕事を自分がやっていることを「もっと注目してほしい、認めてほしい」と何となく思っていたのです。

メルが「止めてほしい」といったとき、私は襟付きのシャツを着て、スラックスを履き、右手にはランチが入った紫のバッグを持っていました。そして一瞬沈黙して、一歩下がってからこう言いました。

「どうして? だって本当のことだろ。僕は他の父親がやらないことをたくさんやってるし、いいヤツだと思わないかい?」

メルは、赤ちゃんを腕に抱いて立ちあがりました。上の子2人はまだ眠っていたので、起こさないように小声で喋りました。

「そんな言い方をされると、私たちが対等なパートナー同士だと思えないからよ。あなたが夜起きるたびに、あなたのご機嫌をとらなきゃいけない気持ちにさせられるわ。この子はあなたの子でもあるのよ」

それから私達はしばらく話し合いをしました。彼女は私が家事に協力的なのを感謝している一方で、私が何か素晴らしいことをしているような態度を取るのを嫌だと感じていたと話しました。実際私は、父親もすべきことをやっていただけなのです。

メルの言葉を聞いて、私は瞬間的にカッとなりました。いまだに昔ながらの"男女の役割分担"にとらわれている父親たちのリストを、彼女に見せたいと思ったくらいです。反論しようとしましたが、少し考えた後、取り返しのつかないことを言ってしまう前に出かけたほうがいいいと判断しました。

そこで、何も言わずに仕事に向かったのです。

会社に向かう車の中でも、私の怒りは収まりませんでした。

前回、皿洗いをした時のことを思い出していたら、普段は通勤に30分かかるところを20分で到着してしました。私は「皿洗いをしたら賞賛されるか、見返りがあるべきだ」と感じていたんだと思います。そして初めて、自分に「なぜそう思ったのだろう?」と問いかけました。私自身も一緒に食事をとったのですから。

次にカーペットに掃除機をかけたときや洗濯をしたときのことを思い出すと、そういった家事に対しても、同じように見返りを期待していたと気がつきました。そのとき突然、自分がいかに身勝手だったか思い知ったのです。

メルが家事や子供の世話に責任を持つべきだ、という考えが深く身に沁みついていて、子供に合わせて夜起きて妻を支えるといった些細なことでさえ、尊敬に値するはずだと考えていたのです。

車を止めてオフィスに歩いて行く途中、私の心は沈んでいました。

そして職場からメルに電話をかけました。「君が正しいよ。僕たちはパートナーであって、夜中に起きたからといって何かすごいことをしたかのように振る舞うべきじゃないね。もうあんなことを言わないよ」と謝ったのです。

メルは少し間、黙っていました。

そして言いました。「ありがとう」と。

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。