「自分を理解して欲しいなんて 甘えん坊すぎる。」コピーライター尾形真理子さんが考える、 これからのコミュニケーション

コピーを通じて人を動かす言葉を紡いできた人気コピーライター尾形真理子さんが考える、これからのコミュニケーションのありかたとは―—?

なにも言わずに

自分を理解して欲しいなんて

甘えん坊すぎる。

どうせ届かないとあきらめるのは

優しくなさすぎる。

………

新しいシーズンを迎えるたびに話題となるファッションビル「ルミネ」の広告コピーを手がける博報堂の尾形真理子(おがた・まりこ)さん。人気コピーライターとして、資生堂やティファニーなど多くの企業コピーを手がけ、TCC賞や朝日広告賞グランプリなど数々の賞を受賞してきた。

そんな尾形さんは2015年1月、雑誌『広告』の新編集長に就任した。雑誌のテーマを「なぜか愛する人々」に決め、特集「水色の自己主張」「3㎝のいたずら心」を企画するなど、新しいメディア表現に挑戦している。

「広告は、もう企業が物を売るための“クリエイティブ”じゃなくて、企業と生活者とをつなぐ“コミュニケーション”だ」と尾形さんはいう。多くの人を動かすコピーを紡いできた尾形さんが見つめ直した、これからのコミュニケーションとは――?

■「今、広く告げたいことは何だろう?」

——尾形さんが新編集長になった『広告』(画像)を読みました。全体のテーマが「なぜか愛せる人々」で、第1号の特集は「水色の自己主張」でしたね。斬新な表紙も目をひきましたが、この特集は、どうやって誕生したのでしょうか?

この「広告」という雑誌は、中身が完全に自由なんですね。そこで編集長になって、あらためて「今、広く告げたいことは何だろう?」と自分に問うてみたんです。

広告は、もう企業が物を売るための“クリエイティブ”じゃなくて、企業と生活者とをつなぐ“コミュニケーション”だ、という捉えかたをしないと成り立たないな、と思いました。そんなふうに考えていったとき、やっぱりコミュニケーションは今大きく変わりつつあって……なんか一方通行の発言が増えているなと思ったんです。

——一方通行のコミュニケーションが増えている。

それは、インターネットやSNSのせいだといってしまうと、あまりに乱暴なんですけど、今は「なんでそういえるのか」が明示されない発言がとても多いですよね。

例えば、批判ひとつにしても、私が編集チームから出てきたアイデアを否定するときは、編集長として、なぜダメなのかを自分の言葉で話します。私が怒りたいからじゃなくて、メンバーのためにも、チームのミッションのためにも、こう考えた方がいいのではないか、というのが、通常の批判です。

最近は、「どうしてそう言えるの?」という批判や、理由を無視した発言が増えているな、と。それに対して、不安感があったんです。そういう世の中のコミュニケーションって……(一人ひとりの)顔が見えないことが多いですよね。言い逃げ、言ったもの勝ち、みたいなフェアじゃないことが普通になっていく。そういう、顔のないものが作る世の中の空気というのは、なんか怖いものだなと思ったんです。

■これからの「新しい自己主張」

――たしかに、Twitterやブログなど、匿名で簡単に発信できるようになりました。

それで最初は、(特集テーマを)「新しい自己主張」と置いてみたんですけど、もう編集部員の皆さんに「全く分かりません」といわれましたね。「コーヒー特集とかなら企画も考えられるけど、新しい自己主張といわれても、何を持って来ればいいんですか」って(笑)。

そのときは「新しい」とは何か、「自己主張」とは何か、みたいな話にグルグルとなってしまったんですけど、私にとって「新しい自己主張」というか「今、広く告げたい自己主張は、何色かな?」と思ったときに、それが水色だったんです――。

——水色。主張を色で表現するのは、新鮮ですね。

今は、相手を論破することが「主張」みたいになっていますけど、そうじゃない主張の仕方が絶対にあるはずで。実は「論破しないけど、ものすごく影響力のある主張」というのが、世の中をやわらかく動かしていくんじゃないかな、と。単純に、そういう主張が素敵だな、そういう主張に出会ってみたいなと思ったんです。

■世界には、強い言葉も、弱い言葉も必要

——たしかに、私はネットメディアで記事を書いていますが、ネット上にいろんな情報や主張が溢れているなかで、より多くの方に読んでもらうには、赤というか、強い色の記事にしないと届いていかないイメージはあります。

そうですよね。広告なんて、まさにその赤の最たるもので、「より強く、よりキャッチーに」の世界です。ただ、強い言葉の重要さもわかるんですが、世の中には、弱い言葉もすごく必要で。弱い言葉だけだと、いじけた世の中になっちゃう気もするけど、どっちかだけになってはダメというか。

それこそ、挨拶の「おはよう」とか、別に強い言葉でも何でもないですよね。「今日は天気いいね」だって、強い言葉でも何でもない。でも、そういう言葉はすごく大切です。そういう水色の言葉が、赤色に追いやられないでいたほうがいい。仕事で徹夜して「つらい」と思っても、ちゃんと「おはよう」って言うみたいな、そういうことかもしれない(笑)。

■「水色の自己主張」に登場した人たち

——特集に登場した人は、そんな「水色の言葉」を持っている人たちだったのでしょうか。

作家の上橋菜穂子さんや高橋源一郎さん、東京大学の早野龍五教授は、みなさんお会いしたことない方ばかりでしたね。編集メンバーからの企画も多いです。

上橋さんは、本当に作品が素晴らしいですよね。「もうヒーローが悪役を成敗すれば、世の中が平和になるほどシンプルじゃない」ということを、それを子供にわかる言葉で、物語で伝える姿勢があります。

ご本人は「多音声の物語が書きたい」と仰っていましたけど、昔からある桃太郎とのように、いわゆる王子様、お姫様がいて、悪い悪役がいて……という構造じゃない物語を構築するのは、すごく新しいと感じますし、今だからこそ読みたいと思います。

そういう意味では、上橋さんも早野さんも、私からすると水色に見えたんですね。そういう方たちに登場していただきました。

「水色の自己主張」作家・上橋菜穂子さんと尾形さんの対談ページ

■初めて雑誌をつくる上で、大切にしていること

——初めての雑誌づくりですが、編集長として、どんなふうに向き合っていますか?

2年間である程度の制作費が決まっていて、「このお金を使って何でも好きなものを作っていいよ」と。「だから、どんな美味しい料理を出してくれるんだい?」というのが会社からのオーダーなんです。ある意味乱暴というか、すごい会社ですよね。だから、みんなで一生懸命、魚とか果物とか採ってくるんですが……広告会社には料理するキッチンがないんですよ(笑)。このままではお客さまに出せない。読んでもらえるクオリティーにならない。

そのキッチンを作る、つまり読みどころを作るっていうのが編集長の仕事なのかなと思うんですが、それは私のこれまでの仕事と、全然違う環境、スキルなので、多分キッチンは2年じゃ完成できないな、と。もう初っ端から大きな挫折というか、驚愕したので、やっぱり「広告と同じつくりかたをしよう」と思いました。

同じというのは、例えば、赤ちゃん専用のホールボディカウンター「ベビースキャン」っていう題材があったら、そのベビースキャンの広告を作るつもりで書くということです。熟れた誌面にしたりすることはできないので、「伝えたいことを、どれだけ分かりやすく、ストレスなく相手に受け取ってもらえるか」という視点でつくってみたら、なんだか素直になっちゃいました(笑)。

■雑誌の良さは、読み手の自由さ

——雑誌というメディアでの表現は、どんな面白さがありますか?

わたしの場合、これまで本当にファッション誌の写真しか見ていなかったので、編集長になることが決まってはじめて「じゃあ、雑誌って何?」と考えたんです。雑誌って、どっから読んでもいいし、写真しか見なくてもいい。キャプションを読まなくてもいい。こんなに読み手に自由を与えるメディアって他にないなと思いましたね。

映画を途中から観ることとは全然意味が違って、雑誌はどこから読んでも、それが読み手にとってのスタートですよね。その自由さが雑誌の良さだし、「一方的じゃない」という主張の仕方なんだとしたら、頭から読まないと意味がわからないものとか、読む人がいる前提のレポートにするのは、やめたいなと。

「ビジネス書です」というと、「これ全然ビジネス書じゃない」という人がいるけれど、「雑誌」なら、許される。これは助かりました(笑)。とくに「広告」は何でもやっていい雑誌ですし、「雑」の持っているおおらかさに甘えています。

——雑を、楽しんでいる部分は?

なるべくお金がかからないように、広告のアートディレクターが全ページをデザインし、イラストも文章も、なるべく自分たちで書いているんですね。いわゆる広告のコピーライターやマーケッター、アートディレクターが仕上げているので、畑違いなんですけど。

それで、実は一番お金かかっているのは最後の1ページ(画像)。海を漂うくらげなんです。その紙が高かったですね。でも多分、理屈ではなく感じてもらえる水色がつくりたかったから、これでいいんだと思う(笑)。

■編集メンバーは、みんな素人集団

——「広告」編集部について伺います。新しい編集メンバーは、尾形さんが声かけたのですか?

そうですね。公募して、「やりたい」と手を上げてくれた人もいます。だけど、自分も含めて本当に素人集団です。今は、「徹子の部屋」というか、「真理子の部屋」みたいになっていて、みんなが企画を持って来て、それぞれに好き勝手、話をしていますね。

毎週金曜日に企画会議をしているんですけど、月曜から木曜は、普通にその他の仕事をしています。編集長になっても現業の仕事は減らないんですよ。誰もそこはケアしてくれない(笑)。だからこそ楽しくやらなきゃ、とは思っていますね。

■曖昧なことの“輪郭線”を感じる

——「水色の自己主張」「3cmのいたずら心」と、毎回人によって解釈が変わるものを特集するところも、広告とは違うメッセージを感じます。

多分私は、すごい曖昧なことをしたいんですよ。

コピーライターの仕事では、曖昧なことって本当に悪で、ダブルミーニングは言葉遊びでしかなくて、基本的には弱いとされるコピーなんですね。その言葉自体は面白いって、見る人はいってくれるかもしれないけど、企業の戦略は、本当の目的をなしてなければ何の意味もないんです。

よりクリアーに、より強い言葉を求める広告のコピーに対して、(雑誌の)「広告」では、解釈の核を作らないで、それぞれに核の“輪郭線”を感じてもらうことをトライしたいんですね。もう慣れなくて本当に大変です。

そんなに簡単にはできないから、私がコピーの仕事が分かるのに8年かかったように、恐らく2年間では訳も分からず終わるんだろうと思います。でも、ひとつのメディアを作るって、そんなに甘くないだろうって、前向きに開き直る気持ちもあって。ふてぶてしいくてすいません、と思いながら、必死にやるしかないです(笑)。

■みんな多分、誰かにとっては「なぜか愛せる人」

——「なぜか愛せる人々」、なんだかとても温かいテーマですね。

今メディアが増えて、いろんな方法論やシステムがありますが、結局それを発信するのも受けるのも、人なんですよね。

で、どんな人が今強いのかなと思ったら、欠点すらも魅力になっている人かなと。意識しているのか無意識なのかわからないけど、理由がないのに愛せてしまう人って、いますよね。そういう人こそ無敵じゃないかと。

もう少し引いて考えると、みんな誰かにとっては「なぜか愛せる人」なんですよ。“なぜか”がつくと、結構みんなが入る気がします。もちろん、なぜか愛せない人もいるんですが、多分それは、なぜかじゃなくて、本当は理由が明快なんですよね。

「愛せる」「愛せない」の基準はいろいろだけど、みんなが「なぜか愛せる人」と思えたほうが、単純に私が生きやすいと思って。嫌いな人が多いと大変ですから。「自分は理解できないけど、なぜか愛せる」くらいでいいなら、自分にもできるかもしれない、と。「考え方は違うけど、そういうところも含めてこの人なんだ」と受け入れることができたら、なんか豊かだなと思いました。

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