人事部が「新入社員にプログラミングを教えて欲しい」といってきた

15〜34歳の男女の約17%がアプリ開発講座へ参加してみたいと答えており、15〜19歳の男性では約30%にも達している。ところが、意欲のある人の45%が踏み出せておらず、11%は学ぼうとして挫折したと答えたのだ。

■ 世界は「コード」で回っている

株式会社KADOKAWAの人事部に、今年の新入社員にプログラミングの研修をしてほしいと頼まれた。出版社の新人研修といえば、かつては、編集と出版の基礎知識、印刷会社や書店店頭などを見学したり実地研修などが定番だった。いまはだいぶ進化しているはずだが、それにしても「コードに触らせたい」という要望である。ちなみに、新人15人の中でプログラミングの経験者はゼロだそうな。

コンテンツ企業にとって、これから半分はネットがフィールドになってくるはずだから、業界誌やデジタル系サイトに出てくるキーワードの意味くらいは早めに分かったほうがよいだろう。しかし、私も、どうせならそこまでやったほうがいいと思った。

むしろ、毎日流れてくる国内や海外のネット業界のニュースをウォッチしていて、いちいち「こりゃ我が社もやらにゃならん」と右往左往するのがよくないと思っていたからだ(もちろん最新のデジタル業界のニュースはすべてのビジネスマンはおさえるべきだが=念のため)。その根本的な原理のところを見ておくというのは、悪いアイデアではないはずだ。

「コード」というのは、プログラム言語で書いたプログラムのことで、これをコンピューターに与えて翻訳されてはじめて動作する。いままでの新人研修でいえば、印刷会社におじゃまして輪転機がゴーゴーと回るのを見物したり、売れ残った本が断裁されるのを見物するようなことかもしれない。しかし、コードの意味は、たぶん新人研修においてはもっと大きな意味を持ちうるのではないかとも思った。

コードを書くことについて、世界で使われるプログラミング言語Rubyの開発者まつもとゆきひろさんが『コードの未来』(日経BP社刊)に実にうまく書いている。ちょっとまとめさせてもらうと次のようなことだ。

  • プログラミングの本質は「思考と思索」
  • プログラミングはコンピューター相手ではなく、人間が相手
  • ソフトウェアで大切なことは、「人は何を求めているか?」、「求めているものの本質はなにか?」、「求められているものを達成するための手順は?」、これを考え決定すること


コードを書くことは、問題を分解して、答えに向かう具体的な方法を学ぶことになる。しかも、プログラミングには「世界を創る楽しさ」があるとも書いている。いまや我々は、プログラムに囲まれて生活している。PCやスマホだけでなく、家電やおもちゃ、クラウドの向こう側にもプログラムがある。世界は「コード」で回りはじめていると意識することが大切なのだ。

■ 誰もアプリの世界を教えてくれない

7月1日に早稲田大学エクステンションセンターで開講する「Tech Institute」のカリキュラムと運営を手伝わせてもらっている。これは、65回のアンドロイドのアプリ開発講座だが、サムスン電子ジャパンが社会貢献活動としてスポンサードしている。第一線で活躍する講師陣をそろえて、20歳以下は無料(一般も7万円)で受講できるというものだ(詳しくは、http://techinstitute.jp/)。

この講座の実施について、最初に相談をいただいたときにアプリを学びたい人についてアンケート調査を実施した。さすがに日常的にスマートフォンに触れるようになっているので、15〜34歳の男女の約17%がアプリ開発講座へ参加してみたいと答えており、15〜19歳の男性では約30%にも達している。

ところが、意欲のある人の45%が踏み出せておらず、11%は学ぼうとして挫折したと答えたのだ。

さらに、踏み出せていない人の理由を聞くと「どの講座がよいか分からない」、「受講料が高い」、「参加できる講座が少ない/近くにない」が30%以上という結果となった。ニーズは高いのに、きちんと教えるところが少ないのがアプリの世界という現状が見えてきた。しかし、よりショックを受けたのは業界関係者へのヒヤリングの結果である。これだけ世の中が、アプリ+クラウドで動きだしているのに、大学で情報学科を含めてその世界をほとんど教えていないのである。

理由は、iPhoneが登場したのが2007年、エリック・シュミットがクラウドと言い出したのは2006年、それらが認知され世界をドライブしはじめてまだ5年もたっていないというのはある。しかし、スマートフォンやタブレットが、単純にコンピュータを小さくしたものではないというのが大きい。

技術的に、位置情報などのセンサーや通信系のことがらもさることながら、ソーシャル性では社会学的な要素があり、ユーザーインターフェイスなどデザインも中心的な構成要素である。さらに、アプリはストアや課金を含めたそのプラットフォームの生態系の中でとらえるべきで、売り出すためのマーケティングやファイナンスの要素もある。

今後は、エンタープライズを含めたタブレットでのアプリの企業利用が本格化するとみられている。ここでも個人向け市場がそうであるように、海外のサービスにやられるということにならないようにしたいものだ。さいわい、日本でもプログラミング教育の必要性ということが言われるようになってきている。しかし、世の中のニーズの劇的変化を受け取ったものに向かっている疑問である。

■ 昔のほうがプログラミングの入り口はあった?

私は、PC雑誌の編集者のときにプログラミングの入門記事をずっと担当していた。コンピューターの入門講座としては、NHK教育テレビで69年から75年まで放送された『NHKコンピュータ講座』がある。『学習コンピューター』(学習研究社)という画期的な雑誌もあったし、『bit』(共立出版)の功績も大きい。

こうやってみると、なんとなく昔のほうがプログラミングヘ誘ってくれるよい入り口があったような気さえするのだがどうだろう(もちろんいまはネットはあるのだが)。プログラミングは教えられるものではなくて、自分で好きな人が学ぶものだという意見は正しいと思う。問題は、そのきっかけとなるチャンスがあるか? あるいは、プロフェッショナルではなくても、「読み書き」のように道具として使えるようになるかだ。

さて、株式会社KADOKAWAの新人研修では、2日間アンドロイドのアプリ開発講座でJavaのコードに触ってもらった。それこそ課題はいくつもあったが、講師がすばらしくなんとかプログラムを動かすところまでいった。2日間の講座で問題解決のトレーニングになったということはないと思うが、自分がこれからやる仕事で出てくるテーマでも、こうやって答えが出ることがありそうと思えたはずだ。「コード」に触ることには意味がある。1つは、JavaでもRubyでも使えるようになるのが理想だが。

シンポジウム「なぜプログラミングが必要なのか?」レポート

Tech Institute アプリ開発者養成講座

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