【STAP細胞論文問題】科学史上最悪のシェーン論文捏造事件が残した教訓と防止策

混迷をきわめるSTAP細胞問題だが、ネット上では科学史上最悪のスキャンダルとなったある事件の再現を危惧する声が上がっている。2002年に起こったアメリカ・ベル研究所のヤン・ヘンドリック・シェーン(当時29歳)による論文捏造疑惑。そのてん末と教訓とは?
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STAP細胞の論文に捏造や改ざんなどの「研究不正」があったと理化学研究所(理研)による調査で指摘された小保方晴子さん。4月9日に開いた記者会見では「STAP細胞はあります」と断言、「悪意のないミス」で研究不正はなかったとして真っ向から反論した。混迷をきわめるSTAP細胞問題だが、ネット上では科学史上最悪のスキャンダルとなったある事件の再現を危惧する声が上がっている。2002年に起こったアメリカ・ベル研究所のヤン・ヘンドリック・シェーン(当時29歳)による論文捏造疑惑だ。

シェーンはベル研究所で物性物理学の分野における大発見を次々と行い注目を集めたが、不正行為が行われているのではという疑惑の申し立てがあり、2002年5月に設置された第三者による調査委員会が解明に乗り出した。数々のノーベル賞受賞者を輩出した世界最高峰の研究所を舞台に活躍し、最もノーベル賞に近いと言われた若き科学者。その疑惑はどのように調査され、どのような顛末を迎えたのか。2002年9月に出された調査委員会の報告書をひもとき、この事件を振り返ることで、今回の問題解決への糸口を探りたい。

■実験ノート存在せず、「データ置換はミステイク」と証言

シェーンは1997年、ドイツのコンスタンツ大学で博士号を取得し、ベル研究所に入った。シェーンは物性物理学の分野で、画期的な現象を発見、次世代のエレクトロニクスを一新させる可能性がある成果として、一躍脚光を浴びた。権威あるネイチャー誌やサイエンス誌で論文を発表し、数々の賞を受賞、「ノーベル賞に最も近い男」と期待されていた。しかし、それらの論文に掲載されているデータが互いに酷似するなどの不自然な点や論文の剽窃があるのではないかと、一部の研究者から指摘がされ始めた。

この疑惑を調べるために、2002年5月、ベル研究所は第三者による調査委員会を設置。調査委員会には、共著者20人が関わるシェーンの論文25本についての疑惑が寄せられ、そのうち24本の論文について調査した。調査委員会はシェーンをはじめ、主な共著者である3人の研究者に対して聞き取り調査を行った。その中には、超伝導研究の第一人者で、ベル研究所の固体物理部門責任者としてシェーンの所属する研究グループのトップだったバートラム・バトログが含まれていた。また調査委員会は、疑惑の論文に関わったすべての共著者についても質問状を送った。

シェーンに対する調査は、はかばかしくなかった。調査委員会はシェーンにデータの提供を求めたが、実験ノートは存在せず、その他の実験に関する記録もきちんと残されていなかった。一次データに関しても、シェーンは「コンピューターの記憶容量が足りなくなったので削除した」という理由ですでに存在しないと証言した。

シェーンは画期的な現象を示す実験サンプルを数百、測定したと主張していたが、調査の段階ではそのすべてが「測定中に壊れた」もしくは、「輸送中に壊れた」「廃棄した」などとして提示されなかった。調査報告書では、「シェーンを研究熱心で生産性の高い科学者であり、目覚ましい成果を上げていた」とする一方、実験など作業はシェーン単独で行われ、ごくわずかの例外を除いて共著者や他の研究者は目撃していなかったとしている。

それぞれのケースを慎重に調べた結果、調査委員会は最悪な結論に達した。調査対象となった24件のうち、16件において不正行為があったと結論づけたのだ。不正行為のあった論文ではデータの置換が明らかとなったが、シェーンは誤ったデータであることは認めたものの、「ミステイクによるもの」「実際に得られた振る舞いをよりはっきりと見せるために行った」と主張、捏造ではないと反論した。

しかし、調査委員会は「そういったやり方は、全く受け入れられるものではなく、不正行為である」と断じた。最も問題のあるケースのひとつは、ポリチオフェンという物質の超伝導を報告したもので、一枚の図表の中に同じ曲線が何度も現れていた。シェーンはこれらのデータが不適切と認めたものの、なぜそうなったのかを説明することはできなかった。調査委員会の見解としては、これらの曲線が実際のデータを表していると見なすことは不可能であり、「明白で疑う余地のない不正行為」とした。

■不正論文の「共著者」の責任はどこまで問われたか?

また、調査委員会では、疑惑が持たれた論文の共著者全員についても、不正行為の有無を追及した。それによると、これらの共著者が採った手法は逸脱したものではなく、常識的なものだったことが確認された。調査委員会は論文でデータが適切に扱われていたかなど、共著者が適切な責任を果たしたのかにも着目した。著名な研究者が名前を連ねていたため、若くて実績のなかったシェーンの成果の“正しさ”を補強することになったからだ。調査委員会は、「これは不正行為に関わる問題ではなく、プロとしての責任の問題である」という問題意識を持っていた。

しかし一方で、この問題は、調査委員会にとっても非常に難しいものとなった。その背景として、「科学者コミュニティがこの問題を注意深く考えてこなかったから」としている。そのため、共著者として何をすべきなのかというコンセンサスが存在しなかったのだ。調査委員会では、捏造疑惑の解明という委員会の責務を優先させ、それぞれの共著者が共同研究のすべてに対して責任を負うべきとはせず、専門技術や経験、研究への関与の深さなどの違いにより、責任の重さは衡量されなければならないとした。

こうした前提をふまえて調査した結果、対象となった共著者はほぼ責任を果たしたと結論づけた。シェーンの論文のほとんどに名前を連ねていたバトログも、捏造発覚直前にスイスの大学へ移っており、処分は下されなかった。この事件で共著者が不正論文に対する責任を問われなかったことに対し批判が起こり、科学者コミュニティに大きな課題を残した。調査報告書では、シェーンの論文に不正行為を認めたが、その物理学的な主張の正しさについては、通常の科学のプロセスで証明されるだろうと結んでいる。

この調査報告書を受け、ベル研究所はシェーンを即日解雇した。また、母校であるコンスタンツ大学は2004年に恥ずべき行為だとしてシェーンの博士号を剥奪した。これに対し、シェーンは学生時代の研究とベル研究所での研究は直接的に関係ないとして提訴。法廷での争いの末、2013年に最終的には大学側の主張が認められた。史上最悪の科学捏造事件は、法廷に舞台を移して終幕した。

■国内外で取り組まれている「研究の不正行為」防止策は?

科学における不正行為はシェーン事件だけではない。世界各国でさまざまな不正行為が発覚し、問題となってきた。では、どのような防止策が取り組まれているのだろうか。

2005年7月に「日本学術会議」の学術と社会常置委員会がまとめた報告「科学におけるミスコンダクトの現状と対策 科学者コミュニティの自律に向けて」では、各国の対策が紹介されている。

それによると、アメリカでは1980年代初期に深刻な科学研究の不正事例が続出し、社会問題化。そのため議会は科学研究の不正行為に介入、連邦政府にその防止のための組織と規律を確立するように要請した。2000年12月、大統領行政府の科学技術政策局は、科学研究の不正行為に関する連邦政府規律を採択。「研究の計画、実行、解析、或いは結果報告などにおける捏造、改ざん、盗用」を研究の不正行為と定義し、政府から資金援助を受けている研究に適用することにした。

アメリカの国立衛生研究所は公衆衛生庁に属し、生物医学や行動科学領域の研究に対する世界最大級の助成機関でもある。世界の約4000機関に年間200億ドル以上の資金を助成しており、その対象となった研究活動の公正さを監視、指導するために、公衆衛生庁では研究公正局(ORI)を設けているという。不正行為が実証された研究者に対して、ORIでは「数年間の助成金申請停止」「政府関連委員への委嘱中止」「不正行為事例の公表」「研究者の所属する機関からの解職」「不正論文の撤回」などの措置が取られる。これらの措置は、「アメリカの研究者にとって、まさに研究者としての生命を断たれることを意味し、極めて重い懲罰となる」という。

報告では、国内でも不正行為の審理裁定のための独立した機関の早期設置の必要性を指摘している。

また、独立行政法人「科学技術振興機構」(JST)では、研究者を対象に「研究の倫理や行動規範について改めて確認」してもらう目的で、「研究者のみなさまへ~研究活動における不正行為の防止について~」というパンフレットを2013年7月にまとめている。パンフレットでは、論文などの投稿時に不正行為とならないために気をつけることとして、「研究再現性があることの確認をして発表していますか?」「生データ、実験で扱った試料、実験ノートの保存・管理はできていますか?」「共著者を含んだものについては、それぞれが寄与した部分を当事者間で確認し、その内容に共同の責任を負うことに合意はとれていますか?」と呼びかけている。

今回、捏造や改ざんがあったと理研の最終報告で結論づけられた小保方さんは、実験ノートも2冊しかなかったという指摘も受けた。これに対し、小保方さんは弁護士をともなった会見で、「画像の取り違えはミスだった」と釈明、捏造の意思はなかったことを強調した。また、実験ノートは他にもあることや第三者による再現実験も成功しているとも述べた。

小保方さんは4月8日、理研に対して調査のやり直しを求める不服申し立てを行っている。また、近く小保方さんの指導役で論文の共著者でもある理研発生・再生科学総合研究センターの副センター長、笹井芳樹さんも会見を行う予定だ。果たして、悪意のないミスか、捏造か。シェーン事件の再現とならないためにも、小保方さんにはこの問題について、まず科学的な手法での解決が求められている。

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