加藤一二三九段が引退会見「名局の数々を指してきました」63年の棋士人生に悔いなし(全文)

加藤一二三九段(77)が6月30日午後、東京・千駄ケ谷の将棋会館で、引退後初めての記者会見に臨んだ。

約63年間に及ぶ現役生活にピリオドを打った将棋の加藤一二三九段(77)が6月30日午後、東京・千駄ケ谷の将棋会館で引退後初の記者会見に臨んだ。

会見した加藤一二三九段=6月30日午後、東京・千駄ケ谷の将棋会館

「将棋界のレジェンド」として知られる加藤九段は1940年、福岡県稲築村(現・嘉麻市)生まれ。1954年、当時の史上最年少記録(14歳7カ月)でプロ棋士(史上初の中学生棋士)となった。

タイトル保持期間は名人・王位・棋王など通算8期。戦績は歴代3位の1324勝。対局数(2505局)と敗戦数(1180敗)は、ともに歴代最多。6月20日の「第30期竜王戦」6組の対局で高野智史四段(23)に敗れ、規定に基づき現役を引退した

加藤九段は「共に歩んできてくれた妻に対して、深い感謝を」と家族への思いを語りつつ、「精魂込めて魂を燃やして、本当に精進した結果、50年、100年色褪せない名局を指せた」と、これまでの棋士人生を振り返った。会見の詳細は以下の通り。

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みなさまこんにちは。これから引退の記者会見を行います。

――63年の現役生活を終えて、いまの気持ちは。

そうですね。大変すっきりした気持ちです。というのは、これからも今まで通りやる気を失わないで、元気よくこれからの人生を歩んでいく気持ちですから、非常にすっきりしています。

――1968年に「十段戦」で初タイトルを取った時の気持ちは。

私の棋士人生の中で、初期の代表的なことは「十段」の獲得です。読売新聞さんの「第7期十段戦」ですね。

第1期から6期までは大山康晴名人が十段だったのですが、第7期の十段戦で私が挑戦者となり4勝3敗でめでたく十段を獲得したんですが、その中で1手に7時間考えて素晴らしい手を見つけて勝ったことと、第6局で自ら戦って感動を覚えたこと。この二つで、将棋というものは深い(と知り)、将棋というものに感動した。

これを続けていけば、私が感動したことと近い感動を(ファンにも)覚えて頂けるのではないかと。私は職業棋士としての存在は、立派な将棋を指して、それをファンの方々に大きな喜びを与えることに尽きると思った。

自ら感動した経験と、1手に7時間も長考して賢者の妙手を見つけて勝ったこと。この2つの点。たしか30歳前だったと思うんですが、これで生涯現役としてやっていく自信が生まれました。

――これまでの中で「この一局」というものがあれば

私は20歳の時、昭和35年(1960年)ですけれど、時の名人大山康晴名人と名人戦の七番勝負を戦って、そのあと昭和48年(1973年)に中原誠名人と戦って、それから3度目の名人戦というのが1982年(昭和57年)の名人戦だった。

3度目の挑戦で、中原誠名人に勝って念願の名人になったというのが最大の思い出なんですよね。1982年7月31日の夜9時2分に名人になったんですけども、95%負けている将棋だったのを私が逆転勝ちして勝って、念願の名人になったものですから。

私は少し前にキリスト教の洗礼を受けていたこともありまして、私が95%負けてた名人戦で勝ったのですから、神様のお恵みだと考えています。

――この時は伝説の十番勝負と言われていますが、この時は一局目からどんな思いでしたか。

昭和57年の名人戦ですけれど、その前の昭和52〜3年(1977〜78年)あたりは、共同通信社主催の「棋王戦」というタイトルで中原さんにも勝ち、大内(延介)さんにも勝った。

名人戦の前に中原さんには棋王戦、王将戦、十段戦と全部タイトル戦で勝っていましたから、名人戦においても自信はありました。

とは言いながら、中原名人は名人10期の絶対王者で、彼は10期目の防衛戦だった。私は中原さんに対してそれなりの自信はあったのだけれども、中原名人は名人戦となると、絶対に今までのどのタイトル戦よりも力を2割方アップしてくると知っていましたから。

名人戦だけは中原さんにとっては最後の砦。そう簡単に勝たしてくれないとは思っていましたが、負ける気はしなかった。

1982年7月31日の夜9時2分、(名人になることが)実現しました。その時、勝つ手を見つけた時に、その瞬間「あぁ、そうか!」と叫びました。20歳の頃から名人戦に魂を燃やして戦ってきたけど、22年後についに名人を獲得できたやった。「あぁ、そうか!」と叫んだんですね。


――長い現役生活を終えられて寂しさはありますか。

私が常日頃から思っていたことですが、棋戦を長年にわたって主催してくださった新聞社の方たち、その他の棋戦を主催してくださっているスポンサーの方々に、深い深い感謝の念をもっていましたけれど、改めてここに心からの深い謝意を表する次第です。

といいますのは、我々がいくら頑張っても、棋戦を主催してくださる新聞社、あるいは報道機関、そういったスポンサーの方たちの支援・理解がなければ、はっきり言って成り立たないわけですよね。

それから私に限らず、日本の将棋文化をなんとか発展させようという意図のもとに、各新聞社の幹部の方々、あるいは棋戦をお伝えしてくださっているスポンサー、そういったトップの方々の強い強い意欲、使命感に基づいて将棋の棋戦をやってもらっていることに対して非常に感謝しています。

私はその付託に応えて、今までタイトルもたくさん取り、勝った数は1324回。いままで、例えば国からは紫綬褒章をいただき、バチカンの聖ヨハネ・パウロ二世からは勲章を賜っていまして、なんといいますか、それなりに私の将棋人生はかなりの成果を上げたと思っています。

とはいいながら、それはひとえに支援してくださった方々、あるいは長年にわたって私のことを応援してくださったファンの方々の好意の賜物だと考えております。

同時に、長年にわたって私と共に魂を燃やし、共に歩んできてくれた妻に対して深い感謝の気持ちを改めてここに表明する次第です。本当に棋士としては名局の数々を指してきまして。

これはよく言うのですが、たとえばバッハとかモーツァルトというような名曲の数々は、今でも世界中の人々に感動を与えているのと同じように…というのは、ちょっとおこがましいのですけれども。

将棋のファンにとっては、私および私たちトップの棋士たちが差してきた名局というのは、文化遺産として残していけば100年経っても200年経っても300年経っても人々の感動を必ず呼ぶという自信があります。

それだけの誇り、自信がありますから、そういうことを達成できたのは、ひとえに将棋の棋戦というのを、早い段階から志高く、なんとか将棋の棋士たちを応援してあげようという好意ある方々の賜物だと本当に深く感謝する次第です。

そういえばちょっと突然ですけども、6月20日に引退が決まったんですけれど、23日に白百合女子大学(仙台白百合女子大)から客員教授の任命を与えられまして。学長から任命証を受け取りまして、大変感激しています。

教育というのは大変大切ですからね。私が今までの人生の中で蓄積した知識や人生観を、これから女子学生に折々に大学を訪れて語っていきたいと意欲を燃やしています。

――昨年12月に対局した藤井聡太四段にどのような印象をお持ちでしょうか。

昨年の12月24日、これは彼のデビュー戦だったのですけども、まず2つ感心しました。

一つは「戦い上手でうまい作戦できたな」と感心しました。

もう一つは、おやつの時間に私がチーズを食べ始めましたところ、藤井四段がちょっと間をおいて、チョコレートを食べ始めてんですよ。そこで私は非常に感心しました。

というのは、藤井四段が先にチョコレートを食べて、私がチーズを後に食べても全くマナー違反でもないし失礼でもないんですけども、藤井四段は私がチーズを食べ始めるのを待って、彼がおやつを食べ始めたことに大変好感を持ちまして、「お!この藤井聡太四段はなかなか先輩に対する気遣いが出来てるな」と非常に感心しまして【※1】。

【※編集部注1】藤井四段はこの時のことを、「対局中にチーズを食べる方は初めて見たので、チーズというのは…、斬新な新手筋ではないかと思いました」と回想している

もう一つは、対局中に一回だけ終盤戦で藤井四段が私のことを一瞬ちらっと見た瞬間があったんですけれど、「え?藤井四段、視線で私に対して何を送ってるのかな?」と思って5分ぐらい盤面を見たところ、「加藤先生、あなたはあなたの方が(形成が)面白いと思っているんでしょ。でもこの将棋は私、藤井聡太が勝っているんですよ」と、目で送ってくれたんですよ。

それで、「この少年、なかなかすごい」と非常に感心しました。この二つです。

彼は破竹の連戦連勝ですね。優れた秀才型の素晴らしい棋士とは思ったけれど、あのように10連勝、20連勝、29連勝とするとは全く想像もしませんでした。

彼が勝っていくなかで、私は藤井聡太四段の勝負を全部研究しまして、彼が秀才型の天才ということを悟りました。作戦が非常にうまく、スピーディーな戦い方で早く有利に立つという戦い方を身につけていまして、今のところ彼に欠点が一つもないんですよね。

一つ非常に嬉しいことは、藤井四段は私にありがたいコメントを出してくれていまして。この前も藤井四段は「加藤九段が引退されることは寂しい」と語ってくれました。

さすがに私も引退は覚悟していることですから割り切っているんですけれども、さすがに藤井少年から寂しいという言葉を聞きますとホロっとしまして。哀感という空気が漂ってきますよね。

あの少年棋士が引退する私に対して寂しいと言ってくれたことは「素晴らしい後継者を得た」と感動しました。


――ファンの皆様にメッセージがあれば。

本当にファンの皆様方には、長年にわたって私のことを好ましく思い応援してくださった方々には、心からの深甚なる感謝の意を表したいと思います。

今までは新聞社さんたちの長年の貢献に対して深い深い謝意を表しましたけれども、直近では毎日のようなテレビ報道によって、いままで将棋なんかまったく知らなかった方々、縁のなかった方々が大変棋士に対して好意を持っていただくことになったことにも、改めて感謝を表したいと思います。

昨今でも街を歩いていますと、多くの方々から「本当にお疲れ様でした」「良い後輩が出て先生よかったですね」と。全く将棋を分からなかった方々がテレビ報道によって…。

やはりテレビ報道は多くの方々が見ていらっしゃるし、例えば家庭の主婦も見ていらっしゃるわけで。「本当にお疲れ様でした」と言われますし、やっぱり非常に嬉しいことに「素晴らしい後輩ができてよかったですね」と言われます。

「どうやら将棋界というのは、なかなか明るい良い世界ですね」と見知らぬ方から微笑みながら話しかけられますので、そのことに関しても深くありがたいことだと感謝を表する次第です。

――63年間棋士として将棋の勝負を戦ってこられまして、「将棋とは何か」「棋士とは何か」と問われたら、どのように答えますか。

そうですね。白百合女子大学の客員教授に任命されたのですけども、その理由は私が平安時代から伝わってきている日本の伝統文化の正当な後継者として任命されたんですけれど。

私はですね、長年にわたってこの熱戦の対局の場を与えられたことによりまして、名局の数々を指してきまして、1324回勝っていますけども、その中の90%は名局なんですね。

私は名局の数々をたくさん指してきたということが、その一点に尽きます。もし仮にですよ、1324回勝っていますけども、これが例え「勝つには勝った」としても、内容的に普通だというのであれば、私もあえて誇りには思いません。精魂込めて魂を燃やして、本当に精進した結果が50年、100年色褪せない名局を指せたということが大きな誇り、喜びであると思います。

私は勝った将棋で、あと1000局は本に書いていませんから。これから私の義務としては、講演とか将棋を教えるとか、イベントとかたくさんたくさん仕事が待っているんですが、誰からの注文もなくてはしなくていけないことは、常々「私の将棋は名局だ」と言っている以上、「なんで名局か」ということを本に書いて伝えていく義務があると思っています。これはまあ5年がかりぐらいで書いていくつもりです。

そうだ!一言忘れていました。将棋界は今、佐藤会長、羽生善治三冠、谷川浩司永世名人、渡辺明竜王、森内(俊之)永世名人と、大変人格的にも優れ、将棋はすでに完成した域に達している将棋界の名人・達人が揃っておりますから、立派な後継者が粒ぞろい揃っておりますから、私は引退することになりましても、心安んじて引退していくことができて、大変ありがたいことだと思っております。以上です。

会見終了後、日本将棋連盟常務理事の清水市代女流六段から花束を贈呈され笑顔を見せる加藤九段

この日、将棋会館では藤井四段の新グッズが登場

加藤九段が会見した30日、将棋会館の売店では「公式戦29連勝」と快進撃を続ける藤井聡太四段の新グッズ「ジグゾーパズル」が売り出された。扇子、クリアファイルに続く公式グッズの第3弾。大きさはA4サイズで104ピース。対局中に凛とした表情を浮かべる藤井四段のポートレートをあしらっている。価格は税込み1620円。


売店でパズルを購入したファンの女性は「7月2日には30連勝がかかった対局があるので、パズルを家に飾って応援したいと思います」と話していた。

【訂正】2017/7/1 0:00

当初の記事で「1982年4月31日」としていましたが、正しくは「1982年7月31日」でした。

▼史上最年少プロ棋士・藤井聡太四段▼


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